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東京高等裁判所 平成2年(う)615号 判決 1991年3月06日

本籍

千葉市道場南一丁目一一二番地

住居

同市道場南一丁目一五番二号

会社役員

紅谷和助

大正一四年二月二二日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、平成二年四月二〇日千葉地方裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から控訴の申立があつたので、当裁判所は、検察官山崎基宏出席の上審理し、次のとおり判決する。

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役一年二月及び罰金一億二〇〇〇万円に処する。

右罰金を完納することが出来ないときは、金二〇万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人土屋東一、同萩原太郎及び同木内二朗連名の控訴趣意書に、これに対する答弁は、検察官山崎基宏名義の答弁書にそれぞれ記載されているとおりであるから、これらを引用するが、所論は、要するに、原判決の量刑が重過ぎて不当であるから破棄されるべきであるというのである。

そこで、原審記録及び証拠物を調査して検討するに、本件は、営利の目的をもつて、継続的に有価証券の売買や商品の先物取引を行つていた被告人が、その所得税を免れようと企て、右の各取引による利得を敢えて確定申告書に記載しない方法により所得を秘匿した上、昭和六一年分及び同六二年分の実際所得金額の合計額が一〇億六八四五万四一四八円もあつたのに、所轄税務署長に対し、その総所得金額が一五二七万九〇九九円であり、これに対する所得税額が七二万四四〇〇円である旨を記載した内容虚偽の各所得税確定申告書を提出し、それぞれそのまま納期限を徒過させ、もつて不正の行為により合計六億三二六一万一二〇〇円の所得税を免れたという事案であるところ、被告人は、証券会社の従業員に勧められたとはいえ、自己名義のほか子供や孫など多数の親族名義を用いて長年有価証券等の売買を行い、本件各年分における株式取引による所得が課税要件を充たすことを十分承知しながら、右所得及び商品取引による所得の全額を除外し、他の所得のみを申告し、六億円を超える巨額の所得税を逋脱したものであつて、二年分を通じた逋脱率も実に九九・八八パーセントという高率に達しているばかりか、捜査段階においては、一時逋脱の犯意を否認し、国税当局に上申書を提出して争う態度を見せるなど、その犯情は頗る悪質というべきである。そして、その犯行の動機は、株式取引や商品の先物取引のような射倖性の強い取引にあつては将来の不測の損失に対する備えが必要であり、また取得した利益を次の取引資金として投入するという方法を取つていたので、正直に申告して納税すればこれらの資金に不足を来すというにあり、このように著しく納税意識に欠け、私利を優先させる態度は、厳しく非難されてもやむを得ないところである。なお、昭和六二年分については、同年一〇月のいわゆるブラックマンデーの大暴落により、多大の評価損を生じたため、保有株式を処分してまで納税する気になれず、申告を除外したというのであり、大暴落により恐慌状態に陥つた心情は理解し得ないではないが、その損失を税金に転嫁し、脱税によつてカバーしようとした所為に酌むべきものは認められない。以上の諸点に徴すると、被告人の刑責は重いといわなければならない。

所論は、(1)昭和六一年分については約二億三〇〇〇万円の、同六二年分については約七億七〇〇〇万円の評価損が生じており、また、(2)本件犯行後、所有する株式を売却して約三億円の、商品の先物取引についても価格の急激な暴落により手仕舞いをした平成元年までに約三億三〇〇〇万円の実損が生じたこと、更に、(3)今次の税法改正により、株式等の譲渡益に対する課税につき、源泉分離選択課税方式が採用され、税額が低く押さえられるようになつたので、その改正法に従い本件修正申告額を基準に税額を試算すると、本件当時の約二分の一にも満たない低額になることが明らかであり、これらのことを考慮すると、一見巨額に上る逋脱額も名目上のものに過ぎず、その実質において遙かにこれを下回るものであるから、量刑に当たりこの点を十分に斟酌すべきである、というのである。

そこで、まず、所論(1)について検討するに、所論援用の関係証拠によれば、本件各犯行当時、被告人の保有株式に所論のような評価損が生じていたことが窺われるが、株式取引のような投機的取引においては、通常の商取引に比し巨大な利益を収め得る反面、巨額の損失を蒙ることも、取引に伴う当然の危険として甘受せざるを得ないことは、原判決が正当に指摘するとおりであるのみならず、一般に保有資産の価値に増減を生じても、それのみでは税法上特段の効果を生ずることはなく、当該資産の譲渡によつてその損益が現実化したときに初めて税法上の損益と認められるのが原則であり、所得税法も、本件のような雑所得については、単なる評価損を損金に計上することを認めていない。しかも、関係証拠によれば、被告人は、評価損の損金計上が許されないことも、評価損を回避する手段としてその年中に譲渡損を実現させればよいことも、十分承知していたことが認められるのである。なお、所論は、法人税法三〇条、同法施行令三四条が有価証券の評価方法につき低価法をも採つていることとの比較をいうが、比較の対象となる所得税法四八条、同法施行令一〇五条は事業所得に関する規定であつて、雑所得に適用する余地はない。また、所論は、法人税法三三条二項、同法施行令六八条二号(控訴趣意書に「同法三四条一項、同施行令六八条一項」とあるのは、いずれも誤記と認める。)には有価証券の価額が著しく低下した場合の救済方法が規定されていることを主張するが、立法論としては格別、所得税法にそのような規定を欠く以上、同法の適用において、たとえ量刑上の事情としても、実質的にこれらの規定を適用したと同様の取扱をすることは、立法の趣旨に反することとなる。したがつて、所論評価損の問題は、所論も認めるように、犯行動機の一部を説明する心理的背景事情であるに過ぎず、かかる動機についての評価は、さきに説示したとおりである。

次に、所論(2)につき考察するに、所論のような実損を生じた場合には、これを生じた当該年分の損失としてその所得計算に反映させるべきであつて、これによつて既に成立した逋脱犯の金額に消長を来すことがないのはもとより、これを量刑上斟酌することも、同一の損金を二重に評価することになり、相当ではない。

所論(3)について検討するに、昭和六三年法律第一〇九号をもつて所得税法が改正されて税率が低下したので、それに基づき本件所得税額を試算すると、その所得税額が逋脱税額の約二分の一になることは所論指摘のとおりであるが、右改正法は経過規定を設け、「昭和六四年分以降の所得税について適用し、昭和六三年分以前の所得税については、なお従前の例による。」と定めており、そして、その趣旨とするところは、同一の法令の施行当時における納税者に対し、裁判時の如何を問わず、同一の法令を適用して、正規に納税したものとの間に不公平が生ずることのないように扱うことを明らかにしたものと解すべきであるから、その改正法施行前に犯した本件につき、改正法を適用すべき余地が全く存在しないことはもとより、改正法を適用したと同様の扱いをして、これを量刑に考慮することも相当ではない。

以上のとおり、実質において本件逋脱額が少ないとする所論は、いずれもその前提を欠くので、この点を被告人に有利に斟酌することは出来ない。

してみると、被告人は、本件発覚後修正申告して、その本税は勿論、重加算税、延滞税のほか、地方税を含めた合計一〇億三三五二万円余の税金をすべて納付するなど、本件について深く反省しており、これまで千葉県における福祉事業の発展に貢献して来たほか、千葉県身体障害者福祉協会へ五〇万円を寄付し、あるいは千葉市の街作りにも尽力して来たこと、前科前歴がなく、年齢も六六歳に達しており、必ずしも健康が勝れない上、本件による身柄の拘束が六三日にも及んでいること、最近における同種事犯との刑の権衡、その他所論が指摘する被告人に有利な諸般の情状を十分に斟酌しても、本件は懲役刑の執行を猶予すべき事案とは認められず、被告人を懲役一年六月及び罰金一億二〇〇〇万円に処した原判決の量刑は、その宣告当時においては誠にやむを得ないものであつて、これが重過ぎて不当であるとは考えられない。論旨は理由がない。

しかしながら、当審における事実取調べの結果によると、被告人は、原審の実刑判決を厳粛に受け止めて一層反省の度を深め、今後社会福祉事業に貢献する決意でいることはもとより、糖尿病を患つていて最近血糖値が上昇して来たので、病院に通いその治療を受けていること、被告人にはさしたる資産がないため、養子の紅谷武史名義で財団法人法律扶助協会に二〇〇〇万円の贖罪寄付をしたことなどが認められる。これらの諸事情に原審当時から存した被告人に有利な諸般の情状を併せ考慮し、本件の量刑について再考してみるに、懲役刑について、その執行を猶予すべきものとまでは認められないが、刑期の点で原判決の量刑をそのまま維持するのは明らかに正義に反するものといわざるを得ない。

よつて、刑訴法三九七条第二項により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書に従い被告事件について更に次のとおり判決する。

原判決の認定した事実に刑種の選択、併合罪加重及び罰金併科の点をも含めて原判決と同一の法令を適用し、その刑期及び金額の範囲内で被告人を懲役一年二月及び罰金一億二〇〇〇万円に処し、右罰金を完納することが出来ないときは刑法一八条により金二〇万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 半谷恭一 裁判官 堀内信明 裁判官 新田誠志)

平成二年(う)第六一五号

○ 控訴趣意書

被告人 紅谷和助

右の者に対する所得税法違反被告事件についての控訴の趣意は、左記のとおりである。

平成二年七月三〇日

主任弁護人弁護士 土屋東一

弁護士 萩原太郎

弁護士 木内二朗

東京高等裁判所第一刑事部 御中

(控訴の趣旨)

原判決は、本件所得税法違反事件について、被告人に対し、「懲役一年六月及び罰金一億二千万円」の実刑に処したが、刑の量定が不当に重く、破棄を免れないと思料する。

(理由)

原判決が、被告人に対し、右のような、あまり類例のない重い刑を科した主たる理由は、

(1)脱税額が巨額である上、逋脱率が九九・八八パーセントにも達していること

(2)脱税の動機が同情に値しないこと

の二点にあるとしていることは、その判文に照らし明らかである。

しかし、この二つの理由はともに、被告人に実刑を科する十分な理由となり得るものではなく、その他本件に特有の諸事情を総合すると、被告人に対しては、さらに減刑があってしかるべく、特に懲役刑については、むしろ執行猶予に付するのが相当と思われるので、以下に詳述するものとする。

(注)証拠の引用は、証拠等関係カードの請求番号(検察官請求のものは甲または乙番号、弁護士請求のものは弁番号)で示す。

一、脱税額が巨額であることについて

たしかに、被告人は、昭和六一年及び同六二年の二期分の所得税について、合計一〇億五三一七万五〇四九円の所得を秘匿し、合計六億三二六一万一二〇〇円の税額を逋脱したというものであるから、その脱税額は巨額と非難されてもやむを得ない。しかし、この所得額は、他の一般の逋脱犯の場合と異なり、実質の額においては、はるかに下回るもの、むしろマイナスともいうべき事情にあったことを、ぜひともご諒察頂きたい。

1 評価損の問題

原審で明らかにしたように、

(ⅰ)被告人は、昭和六一年から株式の継続的取引を始め、同年末の時点で譲渡益が約九四〇〇万円あったものの、保有株式には約二億三〇〇〇万円の評価損を生じていた(弁一六、一七、一八号証)。

(ⅱ)そして、昭和六二年も、同年末の時点で譲渡益は約七億円であったものの、保有株式には約七億七〇〇〇万円の評価損を生じていた(同号証)。

ところで、このような評価損について、所得税法は、これを損失に計上することを認めていない。また、原判決は、評価損の問題は、「有価証券売買等にはそれ自体に内在するリスクがあり、その売買に携わる者としては、かかるリスクを甘受しなければならない立場にある」として、量刑上も考慮する必要はないかのごとく論ずる。もとより、評価損に関しては、原判決のような見解もあり得るかもしれないが、しかし、現に、法人税法は、有価証券の評価方法として、低額法をとっているほか(同法三〇条、同法施行令三四条)、著しく価額が低下した場合の救済方法も規定しており(同法三四条一項、同施行令六八条一項)、そのリスクに対しても多分に配慮を示しているのである。しかるに、このような所得税法と法人税法との取扱いの違いは、(両者の性格に若干の差があるとはいえ)、素人には大変わかりにくいものになっており、所得税の納税者に一方的に不利な扱いを強いている感を与えてしまっている。

他方、この評価損に関しては、その年のうちに、譲渡損を実現させること(年内に、評価損の生じた株式を売却し、直ちに買い戻すこと)で対応できないわけではないが、そのような技術的手段を用いるかどうかで大きな差をもたらす税制の体系は、決して賢明なものとはいえない。もっとも、この点は、技術的に種々の利害得失が錯綜するところであるから、これ以上はふれないが、原判決のように言い放ってしまうのは、評価損の問題を過小視するもので、刑事裁判所として税制全体に対する展望を欠くと評さざるを得ないのではあるまいか。

ただし、この評価損の問題は、現行税制のもとでは、なお、いわば心理的問題にとどまると考えられなくもない。しかし、そうだとしても、少なくとも、著しい評価損が生じた場合の当事者の受ける心理的なインパクトの深刻さは、刑事裁判所の重大な関心事たるべきことである。まして、本件には、ブラックマンデーという世界的な株価暴落の事情が介在していたのであるから、なおさら関心を払うべきことであったといわなければならない。(この点については、なお後述する。)

2 経済的損益の問題

次に、税法を一応離れて、実際の経済的損益をみてみると、

(ⅰ)右の昭和六二年末の保有株式は、その後実際に売却し、結局、合計約三億円の実損を生じた(弁一九、二〇、二一号証)。(藤本英文の検面調書の最後の供述部分は、正確なものとはいえない。)

(ⅱ)また、商品売買取引においては、昭和六一年には、約四三〇〇万円、同六二年には、約二億円の課税所得が生じていることになっているが、同年後半から急激な暴落現象が起き、翌年及び手仕舞いをした平成元年までの実損は、三億三〇〇〇万円にも達した。

ところで、所得税法は、雑所得につき、譲渡損などの翌年等への繰り越しを一切認めておらず、利益が生じたときにはしっかりと課税するものとしながら、損失に対しては、ほとんど無視する態度を貫いている。本件でも、トータルでは上記のように多くの損失を生じているのに、それが全くといってよいほど考慮されない結果になっているのである。いささか不穏な言い方かもしれないが、ある意味では、苛斂誅求といえないこともなく、納税者の納税意欲をそぎ、不公平感を助長しているとの批判は絶えない。このため、今次の改正(昭和六三年法律一〇九号所得税法の一部改正法による改正)に際しても、「(源泉分離課税以外の場合につき、)有価証券の譲渡損失を何ら考慮しないのは適当でなく、例えば翌年以降の譲渡益から控除することを検討してはどうかとする意見があった」といわれ、また、外国では、次年度以降に繰り越しを認める法制は多い(弁五号証)。しかし、これを認めないわが法制のもとでも、少なくとも、刑事罰の関係では、この不公平感を埋める必要があるのではあるまいか(弁三〇号証の東京地裁昭和五六年六月二九日判決、あるいは、弁三二号証の横浜地裁昭和五七年一〇月二六日判決、検察官の論告引用の鶴田論文・表一二の番号4東京高裁昭和五六年九月二五日控訴審判決参照)。

3 税制改革との関係

本件後、周知のように税制改革が行われ、いわゆるキャピタルゲイン課税について重要な上記改正があった。その要点は、<1>原則課税への転換、<2>課税範囲の拡大、<3>源泉分離選択課税方式の採用、の三つにほぼ集約できよう。本件で取り上げたいのは最後の<3>の点である。

従来(本件当時も)、株式等の取引については、課税資料が不足し、その譲渡益については必ずしも公平な課税が行われていなかったのが実情で、見つかった者だけが運が悪い(一種の鼠とり)などという批判も一部に見受けられた。株式等のいわゆる「継続的取引」の申告件数は、年間(全国)わずか一〇〇件ないし二〇〇件程度のようであり、相当大きな譲渡益が多数見逃されていたといわれる。今次の改正は、(納税者番号の採用まで踏みきれなかったことで徹底を欠いたものの、)この弊を除く意味もあった。もっとも、そうだからといって、「本件当時は、見つかった者だけが運が悪い、もっと巨額の脱税が不問に付されている状況だった」などと、法をおかした被告人が揚言することは、いささか憚られることではあるが、しかし、実刑という重い刑を受けた立場からの真情の吐露として、敢えて指摘することを許して頂きたい。

なお、今次の改正で、一般投資家のほとんどが源泉分離方式を選択するようになっている。そこで、原審弁護人は、<1>今後、本件のような逋脱事件発生の余地はなく、一般予防の観点から被告人に厳罰を加える必要はないこと、<2>改正直前の本件に課された税額と、改正後であれば課される税額との差があまりにかけ離れていることは、公平の観点から処罰上考慮されるべきである、と主張した。これに対し、原判決は、新旧法を比較してみても、その間に量刑を左右するほどの事情は認めがたいとして、一蹴しているが、果たしてそうであろうか。<1>の点は、後にふれるとして、<2>についてみてみると、新法のもとでは、(旧法に最も類似する申告分離課税方式を選択した場合、)原審弁護人が計算して提出しているように、株式だけでの税額は、約三分の一に、また、被告人の昭和六一年・六二年の修正申告所得額を基準にして算出した税額は、本件の約二分の一の低額になるという結果がはじきだされている。これは、新法の分離課税方式が、株式等の譲渡益を広く捕捉する代わりに、税額を低く押えているからにほかならないわけであるが、このように新旧相接着している時点で、法の取扱いに顕著な差異が生じる場合、新法の利益(善政)を、できるだけ過去にも均霑させることが庶民の公平感情に沿う所以である。(いうまでもなく、刑法六条もこの趣旨に理解されるものである。)もちろん、この場合、課税自体について新法適用ということは考えられないにしても、刑の適用にあたっては、形を変えて、この公平感を容れることは、決して背理ではないはずである。原審弁護人の主張に対し、一顧だに与えなかった原判決の真意はなぜかよくわからない。

4 以上の理由から、本件では、脱税の額が一見巨額であるようにみえるものの、それは名目だけであって、決して重い刑罰(特に懲役刑の実刑)をもって臨む事案ではないことが確認できるものと思料する。

なお付言するに、従来、株式等の譲渡に伴う脱税について、懲役刑の実刑が科せられた例は、後述(六の2)のように、甚だ寥々たるものである。それは、上記1ないし3で述べたような、評価損、実損、資料不足からの不公平などに関する制度の手当が必ずしも合理的といえない、アンバランスなものがあったことがその重要な根拠の一つになっていることは疑いない。裁判所としては、法の順守はあくまでも要求しなければならないが、さりとて、その不備、不合理を苛酷に納税者に転嫁することがあってはならないとの衡平(エクイティー)の感覚から、実刑を避ける場合が多かったと推察される。本件でも、同様の問題が介在している。しかも、いわゆるブラックマンデーという異常事態の発生で、その不合理がより増幅された形においてである。被告人の刑を量定するにあたっては、この点にも十分のご配意を頂きたい。

二、脱税の動機について

1 原判決は、被告人の本件脱税の動機につき、「昭和六一年分については、将来株式の取引で損をした場合にそなえてというもの、昭和六二年分については、税金を納めようとすれば、ブラックマンデーによる多額の評価損を抱えた手持の有価証券を売却してこれに充てる必要があるが、損を承知で株式を売却してまで税金を納める気にならなかったというもので(あった)」と認定しているところである。当弁護人として、この認定自体を争うつもりはない。しかし、「(この動機は)いずれも格別の同情に値しない」とする点については、申告納税制度の下における納税者の心情に、いま少しの明察があって欲しかったと考える。

2 一において詳述したように、従来の所得税制では、課税資料の捕捉難をよいことに、株式等の譲渡益についての申告状況はきわめて不振であった。これは、納税者の税に対する倫理感の不足もあるが、税制自体が評価損や経済的実損の処理について甚だ冷淡であるため、それに対処するための一種の自己防衛策であったことも否めない。

(1)昭和六一年分の逋脱は、株式の本格的売買を始めて間もない被告人として、まさに、右のような大勢に流されたものとみて差し支えないであろう。まして、当時、評価損が二億三〇〇〇万円にも及んでいたのである。もとより、脱税が正当化されることではないが、違法の度合いの点において酌量の余地が存すると思われる。

なお、この時期、被告人が千葉東税務署の税務調査を受けたのに本件犯行に及んだ、との検察官の主張が誤っていることについては、後に詳述する(三の2)。

(2)昭和六二年分の逋脱について、被告人は、原審第三回公判で次のように述べている。

「一〇月までは実益としまして六億五〇〇〇万くらい出ましたから、その段階では要するに三億くらいの税金というものを一応予測していたわけでございます。ところが、一〇月二〇日にブラックマンデーで七億以上、年度末で大体七億七〇〇〇万くらいの評価損が出てしまいました。そういう評価損というのは実損に当たらないということは重々承知しておったわけでございますが、(確定申告の)三月の段階におきましても一〇月のブラックマンデーの暴落が一つの引き金になって世界的な恐慌に発展するんじゃないかというような、非常に弱気の観測もあったわけでございます。そうした面で更に七億がまた大きくなるということになりますと、当時銀行から一〇億程度借入れをしておったわけでございますので、へたをすると元金そのものが飛んでしまうんじゃないかと、非常に心理的な強い圧迫を受けまして、申告しなかった、と非常に申し訳ないというふうに考えております。」「確かに、年度決算ということを考えれば、そこで一回、少なくとって六億相当の実損を出しておいて来年の一月四日に買いつなぐ方法をとらなくちゃいけなっかったんですが、当時そういった暴落の心理的な影響が強うございまして、私自身気が付きませんでした。(たまたま証券会社の担当者が交替し)税対策というものが全然念頭になくて、ただ単に繰越しをしてしばらく様子をみましょうというようなかたちで、処理をしなかったのが非常に今になると悔やまれるわけでございます。」

この供述は、被告人が当時受けた衝撃による呆然自失、周章狼狽の有様を余すことなく語っているということができる。何十年に一度というような大暴落に際会し、自殺者も出るような危急存亡のときに、なお冷静であれというのは、凡人にはなかなか期待できないことである。(被告人が、この艱難のときに適切なアドバイザーを欠いていたことも、まことに不運であった。)お先真っ暗の状態のさなかで、平たくいえば、税金どころではなかったのである。ましてや、ブラックマンデー直後の一二月に、何億という実損覚悟で、今までの利益全部を吐き出すような「売り」「買い」をして、ただ時の至るを待つ、ということが、いかに言うは易く、行い難いものかは、少しばかりの想像力を働かせるだけで、わかることであろう(甲五七、五八号証の小松公二の供述参照)。

なるほど、昭和六一年の評価損は、翌年には一時回復されている。しかし、昭和六二年のブラックマンデーによる評価損の回復は、その規模の大きさからして、近い将来にはとても望めない状況にあった。たとえ、株価の激しい暴落があろうと、そのような事態は、投資家としては覚悟の上のことであるはずだから、当然甘受すべきだというのが原判決の論理であるが、それは、経済人の存念の持ち方を説くものとしてはまことに正しく、また課税の論理としてもやむを得ないことかもしれないが、少なくとも刑罰という最大の害悪(制裁)を加える科刑の論理としては非情に過ぎるのではあるまいか。

3 申告納税制度は、元来、税徴収機関の手不足を補うことから発達したものと思われるが、いずれにしても、納税者の納税倫理(タックスモラル)に支えられているものである。税の少なきを思うのは、万人に共通のいわば本能的希求であろうが、しかし、法は、倫理的にそれを超克して正しい申告をなすことを求めているのである。この場合、本能の赴くままに、租税免脱の行為に走る者に対しては、倫理的、道徳的、法的に強い非難が加えられてしかるべきである。しかし、特別の事情のため、免脱の行為に出た者に対しては、行政制裁、刑事制裁いずれにあっても、その事情を酌むのが、申告納税制度の底にあってこれを基礎づける納税倫理意識をかえって維持するため肝要のことと思われる。本件では、すでに詳述したように、その特別の事情が存する場合であって、「格別の同情に値しない」ものでは決してない。

三、脱税の手段について

1、原審において、弁護人は、本件で逋脱罪の構成要件である「偽りその他不正の行為」として考えられている、他人名義の取引、及び、過少申告、という二点について、これは必ずしも悪質なものではない所以を強調した(弁論要旨一~一一頁)。しかし、原判決はこの主張について特に判断を示していないので、量刑上どのような見解であったかを知ることができない。そこで、当審においても再度同様のことを主張したい。

2(1)<1>養子である武史名義の口座を開設して取引したのは、原資となった銀行からの借入金の担保に供した物件が武史名義であったため、銀行からの借入名義も株式取引の名義もともに同じ武史名義にしたものである。そもそも、被告人は、紅谷家の次男であるところ、長男である兄が戦死したため、その妻義子と結婚し、兄と義子との間の子で家督相続人であった武史を養子にして、同人名義の財産を管理していた。そして、ほとんどの財産について、自己固有の財産の管理・処分等は自己名義で、武史の財産の管理・処分等は武史名義で行っていたので、今回の株式の取引についても同様のやり方を踏襲した。そのように区別しておくことが、後日、武史の財産の管理権を同人に移譲するとき、便利であろうと考えてのことでもあったが(なお、四の<5>参照)、それ以上に他意があるものではなかった。この点につき、検察官は、担保物件の名義と銀行からの借入名義や株式取引の名義とを同一にしなければならない理由はないというが、それはそのとおりであるにしても、家族間のことであってみれば、便宜、これらの名義を同一にすることは、問題さえおきなければ、さして異常なことではないはずであった。ただ、本件では、脱税の事実が生じたため、この名義の分散が、やがて「不正行為」と目されるようになる。しかし、被告人としては、武史名義にすることで脱税をはかる意図は、もともと少しももっていなかったということができる。

<2>孫七名(昌子、明子、幸彦、和正、芳久、辰夫、大介)名義の取引は、昭和六二年九月、転換社債を各一口ずつ一〇〇万円で買い入れ、その月にすぐ売ったという、ただ一回だけの取引である。これは、かねてから頻繁に出入りしていた野村証券の小松公二の懇請により、口座数を増やすという営業実績の向上に協力したに過ぎない(甲五六、五七号証)。

<3>武史の妻まり子名義の取引は、六二年の株式の買い一〇〇〇株の一回だけである。これは、当時、借入れ先の三和銀行から、株式会社ケーヨーの株数を増すため家族名義で公募株を買ってほしいとの要請を受け、家族四人(被告人、妻義子、武史、その妻まり子)で合計四〇〇〇株を買い入れた一環のものに過ぎない(甲六三、六四号証)。

<4>妻義子名義の取引は、<3>のほかに、昭和六〇年に一〇〇〇株があるが、これは実体は、被告人に関係のないものではないかと考えられる。

<5>実子である紅谷修次、中井智子、伊藤(紅谷)恵子各名義の取引は、一人一〇〇〇万円程度を運用資金として、将来利益があれば分与してやろうとの親心で行っていたもので、世上よくあるケースに過ぎない。ともあれ、この<5>関係の口座は、<2><3>のそれらとともに、全く「動いていない口座」(甲五九号証参照)であった。

<6>なお、株式会社和紅名義での証券取引もある。これは、実質は被告人の個人取引であったが、法人口座を増やそうという野村証券の願いを容れて、その資金も和紅名義で銀行から借り、和紅名義で取引したものである。被告人にしてみれば、個人も会社も同一という意識であった(甲五七号証)。

このことに関連し、検察官が、原審での論告において、被告人は昭和六一年一一月ころ、千葉東税務署の税務調査を受け、株式会社和紅名義での株式取引の無申告について指摘されながら、本件は、このような指摘を無視して敢行された強固な逋脱意思に基づく悪質な犯行である、と主張している点について言及しておく。前にも一寸ふれたように、この税務調査が行われたのは、昭和六二年一〇月ころのことである。検察官は、被告人の誤解による供述(甲一三号証、乙三号証及び被告人の原審第三回公判の供述)に基づき、まず時期の点で誤った主張をしていると考えられる。次に、この税務調査は、和紅名義による外国証券の配当金収入が昭和六〇事業年度の法人税申告から漏れていたことについて行われたもので、この件は、当時、千葉東税務署と被告人関係の経理事務を扱っていた尾崎経理事務所との間で折衝の結果、和紅から修正申告を提出することで、税務処理としては、完全に決着がついていたことであったのである(甲一〇、三七、七一、七九号証により明らかである)。したがって、この点を被告人に不利に援用するのは、全く筋違いといわなければならない。(むしろ、敢えていえば、その際、尾崎税理士は、税務署に対し、この外国証券は、被告人の資金で購入したこと、被告人は自分の物と言っていることの説明をしたと思われるのに<尾崎の検面調書参照>、結局は、法人税の修正申告で処理されているのは、法人税ないし個人所得税の「いずれかで申告してほしい」という税務署のやや曖昧な指導によったものと推認される。もしここで、取引名義などは便宜的なもの、との安易な気持ちを植えつけかねないような指導ではなく、もっとキチンとした指導があったとするならば、あるいは被告人の昭和六二年分の虚偽過少申告は防げたかもしれない。かえすがえすも残念なことであった。)

(2)以上のように、被告人が本件逋脱の手段として、他人名義を使用したとの点は、違法性にはほとんどつながらない。一方、本件では、いわゆる架空名義は一つもない。そして、他人名義といってもすべて近親者の名義であって、調査を受ければ、たちどころに被告人との関係が判明するものばかりである。このようなものが果たして脱税の手段として有効たり得るものであろうか。少なくとも、被告人には、家族の名義使用が「脱税のためにするもの」との認識は全くなかったとみてよい。

しかるに、検察官は、論告において、これをしも、「所得を秘匿し、犯行の発覚を免れるには有効かつ巧妙であって、犯行の手段、態様の観点からも本件犯行は悪質である。」というが、甚だしい誇張以外の何ものでもない。

3 本件では、右2で検討した「他人名義の使用」の点のほかには、「偽りその他不正の行為」と目せられるような積極的行為は皆無である。通常、この不正行為の例として挙げられるのは、帳簿不作成、帳簿への虚偽記入(架空経費の計上、仕入れの水増し、売上げの一部除外等)、二重帳簿または伝票の作成、仮名または簿外預金の設定、仮名取引などであるが、本件ではこのような、積極的な所得秘匿行為は全く見当たらない。したがって、手段の違法性は挙げて「虚偽過少」の申告自体に帰せられることになる。

しかしながら、そのうち、株式等の取引に関するものについては、被告人に宥恕されるべき事情があったことは、すでに一及び二において詳述したとおりである。

他方、商品取引に関するものについても、次のような事情があった。被告人は、こう陳述している(原審第三回公判供述)。

「商品取引については、自分以外の名義は一切使っていない。取引を始めるとき、担当の糸井(重美)という人に、もしもうかったらどうするのかと聞いた。糸井氏の当時の話は、非常に投機性の強いもので、損した場合損金の通算ができないものだから、税の申告をする者はいない。実際、糸井氏のお客で商品取引にからんで税の問題が発生したことはない、ということであった。」

もちろん、被告人が糸井の話から納税申告をしなくともよいと信じたわけではない。しかし、同人のこの話は、巷間の事情を正直に反映しているものといえよう。租税道義の面からみれば甚だ慨嘆すべきことであるが、それが現実のようである。現に、被告人は一の2で述べたような実損に見舞われたのであったし、同3で言及したのと同じ意味で、その犯情を憫諒する一事情としていささかかの考慮を賜りたい。

四、その他の情状について

1 原判決は、被告人に有利な情状として、

<1> 本件発覚後に修正申告をし、重加算税を含む税金の全額を完納していること

(注)昭和六一年度、六二年度所得税の各修正申告額、重加算税、延滞税の合計八億八六一三万八六〇〇円及び同年度地方税の一億四六三八万九五〇〇円、総計一〇億三三五二万八一〇〇円を完納した。

<2> 現在では深く反省していること

<3> これまでに、千葉県の福祉事業の発展に貢献した実績を持つとともに、本件後も、千葉県身体障害者福祉協会に金五〇万円を寄付し、あるいは、千葉市の街づくりに尽力するなどしていること

<4> 前科前歴がないこと

<5> 六五才という年齢に加えて健康もすぐれないこと

等を挙げている。いずれも、原審弁護人の力説したところであって、これに十分耳を傾けて貰えた原判決に対し、被告人として大いに感謝している。

当審においても、これらの点は、同様に、あるいはより深く斟酌して頂けるであろうと信じ、趣意書には敢えて敷衍することを避ける。ただ、次項で主張する刑訴法三八二条の二の事由のほか、次の点についてさらにご留意を煩わしたい。

(1)一つは、検察官が原審論告(要旨第五の五項)において指摘している、被告人が調査、捜査の段階で虚偽の供述をしているとの点である。確かに、被告人は、国税局の調査当初は、本件事実の大綱を認めていながら、途中から、株式等の売買益と保有株の評価損とは通算できると考えていた、とか、商品取引の取引益は非課税と思っていたとかの弁解を一時行ったことがあるようである。これは、被告人の検面調書(平成元年一一月一三日付、同月一九日付)によれば、起訴前に本件で相談した弁護士の話の中から、逋脱犯の成立には故意が必要だということを知り、一時、やみくもに弁解の具としたものと思われる。皮相な考えであった。が、しかし、評価損や実損の処理についての税制度は、一応頭では理解できても、体の底から納得できないのが庶民感情である。そして、そこにも-既述のように-一片の理があるとすれば、被告人がかような弁解をしたのも、検察官のいうように「法軽視、納税意識の欠如を如実に示すもの」とすぐさま断定するわけにもいかないものがあるのではあるまいか。ともあれ、被告人は、検察官に対し、その非を率直に認め、以後、反省して真実を披瀝し、税の徴収に協力してきたのである。

(2)本件では、既述のように、税の逋脱のため、事前に、帳簿類の改竄等の所為は全くない。のみならず、国税局の調査を受ける前後から、終始、いわゆる事後の隠滅工作のような姑息な手段も、一切弄していない。

(3)被告人は、株式取引、商品取引いずれのから得た利益についても、隠匿したり、隠し資金等にして不正利用したりしてはいない。ごく一部を除き、当の株式取引、商品取引に再投資しているだけである。もっとも、結局は、実損が多かったために、それも一時的なものに過ぎなかったのではあったが。

(4)一般に、逋脱犯の量刑を決める要因の一つとして、犯罪反復を防止するための対策がどうなっているかの問題がある。営業のやり方や経理の改善がまず要請されるところであるが、原審弁論終結時、被告人は紅谷家の資産管理の実権を次第に武史に移すことを前提に、株式の信用取引と、商品取引については、すべて手仕舞いし、株式の現物取引については、取引先五社のうち四社の分はすべて手仕舞いし、一社分のみ(約四億円)清算のため残している状態であった。被告人としては、再び株式や商品の大量取引を再開する気持ちは毛頭ないが、他方、株式等については、法改正の結果、源泉分離課税方式が導入されている。したがって、もはや、被告人は、本件のような逋脱の罪の再犯の危険は主観的な面で考えても、客観的条件の面で考えても、全く解消している。このことも、被告人に有利な事情に数えいれてよいことである。

(5)なお、被告人の人柄について付言しておくべきことがある。

被告人は、長い公務員経歴の持ち主で、原判示のとおり、多くの業績を残しており、証拠上あらわれているその人物評は、

「温厚」「まじめ」「自分に厳しい」「あたたかい人物」「みんなの尊敬を集めている」「信頼を寄せられている」「人格識見ともに立派」

などというものであって、各方面から大変芳しい評価を受けてきたことがはっきりと窺われる。それに加え、次の点も特筆されてよいと考える。すなわち、被告人は、戦後直ちに、戦死した兄の家督相続人であった武史の後見役として同人の財産を管理することとなったが、その管理ぶりは、旧「紅谷家」を守るという使命感のもとに筋を通すことで一貫してきたと認められる。由来、近親者の財産の管理を委ねられた者は、往々にして、自己の利益を図る例が少なくないのに、被告人においては、律義過ぎるともいえるくらい、自他の区別を守ることに徹している。もちろん、法的に、あるいは会計的に、管理の隅々まで、完璧であったとはいえないかもしれないが、大綱においてこの姿勢で貫いていることは、記録上優に看取されるところである。昭和六一年当時、武史の財産の管理を同人に譲り、自分の住まいを「離れ」のほうに移すことを提案したことがあるが(甲四一、四二号証、乙一一号証)、このような武史をなるべく立てようとするエピソードなども、被告人が、預かっている財産を立派に武史に引き継ぐことを、みずからの使命と考えていたことの証左とするに足りよう。公務員退職後、株式売買を本格的に始めた動機も、帰するところ、武史の財産を守る意味であったのであるし、殊に、株式取引の多くを同人名義にしたのも、同人の資産から原資を得たことをできるだけ明確にしておこうという律義さに発したものであったのである。(ところが、この律義さが、かえって本件で、「他人名義の使用」として不利な結果を招くこととなったのは、まことに悲運な巡り合わせで、被告人としては思いもよらないことであった。)ともあれ、被告人は、このように、どちらかというと、古風で律義な、使命感を大事にする、まじめな性格の持ち主である。障害福祉の仕事に精励した経歴もこの性格と無縁ではない。したがって、今回の脱税は、甚だ遺憾なことではあったが、それにしても、上記の(2)や(3)で挙げたような不明朗な手段とは人柄上絶対に結び付くことのないのは、当然である。被告人は、本件の蹉跌さえなければ、多くの人たちの尊敬を受け、地域における間然するところのない長老的存在であったはずである。このような被告人のもつ本来の美質にも、この際、ぜひともご憫察を頂きたい。

五、原審判決後の事情

1 被告人は、原審において、懲役刑の実刑に処せられた。一面では覚悟はしていたものの、他面ではまた裁判所の恩情に期待する面もあったので、さすがに大きなショックに打ちひしがれたのであった。そして、当審弁護人に対し、「ひとえに自分の不徳の致すところである。しかし、いまこの老齢の身ながら、なお世間に尽くし得ることがあれば教示してくれ。もちろん、これまで関係してきた障害福祉や、千葉駅北口地区の開発事業に、今後陰ながら、できるだけ応援していく気持ちは変わりはないが、そのほかにも、もし自分でできることがあれば、それを果して、裁判所に反省の心情を酌みとってもらうことにしたい。」との相談があった。結局、被告人のなし得ることとして弁護人の考えたところは、社会事業関係への奉仕であるが、被告人は、すでに、千葉県身体障害者福祉協会に対し五〇万円の寄付を行っている。しかも、お金の寄付は、罪をあがなうというより、刑をあがなっているのではないかと見られ易く、二度までもこれを行うのは、いよいよその色合いが増す。いささか躊躇したものの、しかし、弁護人としては、誠意さえあれば裁判所も被告人の微衷を酌んでもらえるものと確信し、法律扶助協会への贖罪寄付を勧めた。もちろん、被告人もよく同協会の事業の趣旨を理解しその気になったのであるが、ただ、次の2で後述するように、本件を契機に、被告人は武史との財産を分別することとした結果、被告人個人として自由になるお金は、一般サラリーマン以下に過ぎなくなっている。従来であれば、武史に関係ある事項については、被告人一存で、あるいは武史からごくおおまかな事前、事後の承諾を得て、その財産の中から被告人の名義でも寄付することもあり得た。しかし、今後は、その間の分別を明確にすることを期した以上、従来のやり方は踏襲できない。そこで、身内の意向なども尋ねたところ、武史のほうから、「今回このような事件になったのも、被告人が武史のために、よかれかしと考えて財テクを行ったことに原因があるのだから、被告人の急場の役に立つのなら、武史の財産を処分するのは当然だ」という趣旨の申し出があり、二〇〇〇万円の寄付を武史名義をもって行うことにした。二〇〇〇万円はこの種寄付としては大金である。それは形式的には被告人の懐ろを痛めるわけではないとはいえ、実は、被告人が守り続けてきた(いささか古めかしい表現かもしれないが)「紅谷家」の負担において、ボランタリーになされるものである。被告人の贖罪意識の大きさは、瞠目すべきものがあるといってよいと思われる。このお金が、経済的障害により権利の実現に困難を来している状態を、少しでも補うのに一助ともなることができれば幸いであろう。

2 被告人は、原判決後、その判決の重みを痛感し、次のようにして、謹慎の意を深める生活をおくっている。

(ⅰ)株式、商品取引からは、すべて手を引き、若干の資産株を残すのみである。

(ⅱ)株式会社和紅の代表取締役社長の地位は武史に譲り、みずからは名目的な平取締役になった。(和紅において、武史は、幸いスタッフの助力を得て、次第に一本だちできるようにがんばっている。被告人としては、院政的なやり方は避けて、難しい局面が生じたときだけ、アドバイスするつもりである。)

(ⅲ)千葉駅北口駅前地権者協議会理事長の職も辞任した。多くの関係者からの慰留があったが、今回の責任上、留まれないことを了承してもらった。

(ⅳ)生活は、主として紅茂農場と和紅からの給料と、公的年金でまかなうことにしている。(その他に若干の建物賃貸料、配当金収入がある)。

(ⅴ)税関係のことでは、尾崎経理事務所も、このたびの苦い経験を活かし、紅谷関連では二度と不祥事が生じないよう協力する旨言明している。

(注)以上1及び2の点は、当審で立証する予定である。

六、補説、そして結語

1 近時、租税逋脱犯に対する懲役刑の実刑率が徐々に増加してきているといわれる。その理由を推測すると、第一に、犯行が悪質化したこと、第二に、不正手段により租税負担を免れる脱税犯に対する国民の不公平感に基づく厳正処罰要求が強くなり、裁判所が従来の執行猶予付き懲役刑では一般予防的効果をもち得ないと考えるに至ったこと、というのが基本的理由のように思われる。十分うなずけるところであるが、ただ、後者の点を余りにも強調し、逋脱犯に対する刑事制裁は、実刑中心でなければ、その存在意義はないといってしまうと(佐藤英明「租税制裁法の構造と機能」法学協会雑誌一〇六巻一一号。もっとも、これは重加算税との機能分担を前提としての所説である。)、それは行き過ぎの感を免れない。けだし、逋脱犯についてだけ一般予防を突出させて考えるのは、刑の適用に関する一般原理(後記改正刑法草案参照)にもとり、刑事政策の新しい潮流(非犯罪化、非刑罰化の傾向、社会内処遇、例えば社会奉仕命令による自由刑の代替等)にも反するし、かえって、新たな不公平を生む危険すらある。

2 結局のところ、逋脱犯に対し実刑でのぞむか、執行猶予を付するかは、<1>「犯人の年齢、性格、経歴及び環境、犯罪の動機、方法、結果及び社会的影響、犯罪後における犯人の態度その他の事情を考慮し」、<2>犯罪の抑制及び犯人の改善更生に役立つことを目的」(改正刑法草案四八条)として決すべきものである。ところで、本件では、この<1>の「犯罪の抑制」、すなわち一般予防の観点は、かなり薄めて考えてよいと思われる。というのは、株式等の譲渡益については、今次の法改正により、大方の一般投資家が源泉分離課税方式を選択しているので、もはや税逋脱の余地がほとんどなく、その意味で、被告人のような過少申告防遏のために重い刑を科することによる警告の必要は、いまや消失しているといってよいからである。

次に、<2>の諸点を、原審で提出のあった量刑に関する文献、その他若干の文献(注)に照らし、より具体化してみると、悪い要因(実刑の情状)と考えられているものは、「脱税動機の不当、所得実態の不良、脱税額・脱税率の高さ、脱税手段・方法の悪質性、罪証隠滅、納税意識の薄さ、前科前歴、逋脱による資金の使途が良くないこと」等であり、良い要因(執行猶予の情状)と考えられているものは「査察に対する協力、被告人の反省、納税の完了、事業経営に欠くべからざる立場、贖罪寄付、経理体制の改善、家庭や健康の状態」等が取り上げられている。

本件におけるこのような要因の有無については、既にほぼみてきたところであるので、再説は避けるが、本件においては、悪い要因は(ただ一点、脱税額の多さを除けば)ほとんどなく、良い要因はすべて具備していることを再認識せずにはおれない。他方、右の各文献に掲げられている逋脱犯の実刑諸例(風俗営業、不動産売買業、病院経営関係者に多いのに気づく。)と、本件事案とを対比してみるとき、ここでも脱税の額の多さの点を除けば、事情の悪質性は、比較にならないほど、その諸例のほうが本件より高いのである。

このように、本件に重くのしかかっている脱税額の多さが、必ずしも名目どおりではなく、実質所得はむしろマイナスともいえる状態であったことについては一の1で強調したところであった。したがって、当審におかれては、ぜひとも、この点についての深いご諒察を賜りたい。

なお、前記実刑の諸例のなかには、株式取引による脱税の事案が一つもないことを、重ねて指摘しておきたい。(その意味で、原審検察官が論告第二の七項において引用した判決例は、本件に必ずしも適切なものとはいえない。ただ、甲八三号証の判決は、株式取引の分も含まれているが、これは、株式売買益の秘匿のほか、自由診療収入を一六年間も継続して秘匿していた歯科医師のいわば常習的事案である。他に、公刊の資料からは、株式売買益の単純な過少申告で実刑に処せられた例は発見できない。)そして同時に、むしろ、執行猶予に付された例に参考となるものが多いことを強調したい。なかんずく、弁三一号証の東京地裁昭和五六年六月二九日判決は、株式取引に対する課税のあり方、その逋脱犯に対する量刑のあり方について、深い洞察を示し条理兼ね備えた先例である。また、弁三〇号証の東京地裁平成元年一二月二五日判決は、逋脱額は高額であるものの、被告人の犯行前及び後の社会活動の面における貢献寄与を高く評価し、刑事政策の公理とされる「責任主義と刑罰個別化の調和」を実践したすぐれた先例であって、事案そのものが、本件にきわめて類似していることに、注目したい。そして、弁三二号証の横浜地裁昭和五七年一〇月二六日判決及び検察官の論告引用の鶴田論文・表一二の番号4東京高裁昭和五六年九月二五日控訴審判決は、いずれも株式取引の実損を量刑上被告人に有利に斟酌すべきことを明言した好先例である。

このような先例にひきかえ、原判決は、税法違反、特に、キャピタルゲイン課税に対する理解にすこぶる硬直的であった憾みがある。

3 結び

被告人は、遅ればせではあったが、逋脱発覚後いちはやく、重加算税を含む一〇億三〇〇〇万円以上の税額を完納した。新聞報道等によって媒介された社会的制裁もきびしく受けとめた。身柄の拘束も、平成元年一一月九日から本年四月二〇日まで、正月をはさんで一六三日の長きにわたった。それに、本裁判で、一億二〇〇〇万円の罰金と、一年六月の懲役刑という重刑を負うことになった。

脱税犯処罰の理由として、第一に、国庫に損害を与える点が挙げられる。この点は、被告人においては、すでに補填を了えている。第二に、一般予防の観点がある。しかし、この点も厳密にいえば、法改正により必要性がなくなっている上、これまでに被告人の蒙った財産的、心理的、身体的苦痛にかんがみれば、「脱税は引き合わないもの」との事実を如実に世に示し得ているはずである。第三に、納税意識の欠如等本人に対する社会的非難が挙げられる。この点については、甚だ申訳けないことと考えている。ただ、すでに縷述のとおり、脱税額は高額であったとはいえ、悪質さ(違法性)の程度は高くなく、社会的功績もあって、反省の情も顕著で、再犯の危険性は皆無ということができる。したがって、このような、しかも高齢で悔悟の念をより一層深めている被告人に対し、なおかつ「厳罰」を加えることを支持し得る思想があるとすれば、それは古典的な応報主義ないし極端な一罰百戒の考えだけではなかろうか。もちろん、原判決も、検察官の求刑意見を大幅に下回る刑を量定し、被告人の情状に対し、一応の配慮を示しはした。しかし、それでもなお苛酷であり過ぎるように思われる。

いずれにしても、被告人に対する原判決の量刑は不当に重いといわなければならない。

これを正すべく、当審におかれては、刑訴法三八一条、三九七条一項、二項により原判決を破棄し、ぜひとも、被告人に対し、減刑を、特に懲役刑につき執行猶予の恩典を賜ることを切望したい。

(注)司法研究報告書四〇輯二号「税法違反事件の処理に関する諸問題」一一六頁以下、松沢智・井上弘通「租税実体法と処罰法」三六一頁以下、前掲佐藤論文(法協一〇六巻七号四二頁以下)など。

平成二年(う)第六一五号

○ 控訴趣意書訂正書

被告人 紅谷和助

右の者に対する所得税法違反被告事件についてさきに提出した控訴趣意書に脱漏がありましたので、左記のとおり訂正します。

平成二年八月九日

主任弁護人弁護士 土屋東一

東京高等裁判所第一刑事部 御中

控訴趣意書六頁八行目末尾の「達した」の次に

「(弁二四号証、被告人の原審第三回公判供述)」

を挿入する。

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